2009年7月5日

シャーリー テンプルの秘密

ベランダに住み着いた蜘蛛の夫婦に、シャーリーちゃんとテンプル君と名前をつけた。

雨の多い季節になって、ベランダに這い上がってくるナメクジを食べてくれるのを期待していた。

ところが、長年暮らしてきた同居人が、蜘蛛恐怖症だと言うことを、初めて知ったので、名前をつけたことを言わずじまいになった。室内にいる胴の幅が1ミリくらいの小さい蜘蛛だと、まだ大丈夫らしいが、シャーリーちゃんもテンプル君も、幅5ミリくらいの、黒々とした立派な蜘蛛だ。

ある日帰ってみると、ベランダにあったシャーリーちゃんたちのネットが、跡形もなく、なくなっていた。同居人が掃除してしまったのだ。シャーリーちゃんたちは、どこかに逃亡したそうだ。

最近、ナメクジが出なくなったね、あの蜘蛛たちが食べてくれたんだろうね、と同居人は言うが、実は違うのだ。もちろん、少しは食べてくれたのだろうが、大半は私がティッシュにくるんでビニール袋に入れ、捨てていたのだ。

残酷な殺し方かもしれないが、仕方ありません。

今でも同居人は、シャーリーちゃん夫婦が、ナメクジを退治してくれたのだと信じているが、私はその誤解を解こうとは思わない。人生には、必要な嘘もあるよね。

2009年6月28日

エコノミークラス症候群

職場の空間はお世辞にも広いとは言えない。

足を伸ばそうとすると、机の下に置いたファイルにぶつかる。椅子を引こうとすると、後ろの壁にぶつかる。横に椅子をずらすと、ロッカーにぶつかる。

昼休みはチープなカフェで過ごす。

こちらはいっそう狭い空間。一人当たり50cm平方メートルだろうか。椅子は小さく固い。20分も座っていると体はコチコチだ。

先日、信号が青から黄色に変わる途中の広い交差点を、走って突っ切ろうとしたら、足が突然痛み出した。

飛行機のエコノミークラスにしょっちゅう乗るような出張の多いサラリーマンではないのに、すでにどっぷりとエコノミー症候群です。

パーティションで一人一人区分けされた職場で働く、高級サラリーマンになりたいものだ。

2009年6月21日

心のよりどころ――the support of the heart

というのかどうか、わからないけれど、今のところ東京タワーを毎朝見て通勤している。

生まれ育って故郷を出るまでの18年間、毎朝韓国岳を見てすごした。大学の6年間は桜島があった。

突然上京して何もない。富士山はいまや東京からは見えない。荒川や江戸川は、川なので地上を流れていて、すぐ近くまで行かないの見えない。心もとない日々だった。

東京タワーを見ながら通勤できるようになって、なんだか安心したのだ。赤と白のシンプルなデザインもいい。

遠いところからも見える高い山が、なぜ信仰の対象になるのか、わかったような気がする。何百年も何千年もたってもいつも変わらないもの、だからかもしれないし、物理的に背中を支えてくれるような錯覚を覚えるのかもしれないし…。

東京タワーが何百年も持つかどうか不安だが、とりあえず、変化の激しい東京にあっては、皇居の次くらいには変わらないものだ。

2009年6月14日

言の葉、言葉、言語、Language

言葉がなければ人間は考えることはできない、ということは、今では哲学的には常識だけれど、一般の人がそう考えることはなかなか難しい。

ところで、昨夜、あるいは今朝目覚め時に見た夢を覚えていますか? 覚えていたとしても、説明できますか?

いざ、思い出そうとすると、まるで綿飴の塊のようにとけ去って、何も残らなかったりする。

これは、夢が脳のリハビリの残骸で、もともと言語化されていなかったから、じゃないかと思う。リハビリの残骸にいちいち言葉を当てはめようとしても、砂糖を水で洗うようなものだ。

ところで、コンピュータにも言葉はある。あるので、何かコンピュータにさせようとするなら、コンピュータ言語、機械語というのだろうか、で書いてやらなくちゃならないそうだ。

機会言語を与えると計算するコンピュータと言うものも、もちろん人間の作ったものであるから、言語がなければ、計算=考えることはできない。

ちょっと面白いね。

2009年6月7日

時間について

カントは『純粋理性批判』で、「時間と空間は人間の思考の枠組みである』というようなことを書いている。

そうか。ということは、「時間」というものが、りんごや猫や人間と同じレベルのものではなく、言ってみれば、人間の妄想かもしれないね。

「過去」「現在」「未来」について、もっともらしく私たちはしゃべったりするけれど、それにいったいどんな意味があるのだろう。

「過去」について、老人は自分の自慢話をしたがるし、「未来」については、子供たちなどは、「将来何とかになる」とかいう作文を書かされたり、「いい大学を出て一流企業に勤めなさいね」と親から理不尽にも期待されたりするけれど、また、本人も「今いっぱい勉強すれば、将来は遊び放題で楽ができる」と誤解したりする。

でも、「現在」はおろそかにしていいのだろうか?

「過去」は「現在」が過ぎ去ったものだし、「未来」は「現在」の積み重ねだ。

朝起きて、顔を洗い、ご飯を食べる、外を見ると、すずめが鳴いている。朝日がきらきらまぶしかったり、木の葉がつやつや鮮やかに輝いていたりする。空は透明な光に満ちているのだ。

また、「あのときもっと勉強しておけばよかった」とか「あのとき違う人と結婚していれば」とか、後悔してなんになるのだろう。後悔することで「現在」を侮辱している。

そして、もっと時間がたつと、また、今やらなかったこと、選ばなかったものを後悔するのだ。「現在」を惨めな「過去」に変えることを人生にしてしまう。

私たちは過去や未来に生きているわけではなく、今、この瞬間を生きているのにね。

2009年5月31日

動物病院で知り合いの猫にあう


なんて、初めての経験だ。

2007年の夏、ちょうど梅子が衰弱し、死ぬまでの20日間、夜、通勤の帰りなど、毎日のように会った。
地下鉄の駅近くのタバコの自販機の下に寝そべっていた。

顔が、昔飼っていた紅子にそっくりなのだ。男の子だということと、
長い尻尾が奇妙な具合に曲がっていること以外は、まるで紅子だった。

行方不明になって18年、こんなところにいたのかと(そんなはずはないのだが)、
毎日ご飯を上げた。

つい先日、給食の行き道、ばったり出会い、無事を確認したばかりだが、
まさか動物病院で会うとは思いもしなかった。

飼い主の話によると、その、私がご飯を上げていた暑い夏、彼は捨てられたらしく、現在の飼い主宅の自動車の下で暮らしていたそうな。その家には目の見えない犬もいて、猫を飼うことにえらく反対したそうだが、3日間の家族会議の結果、飼い猫になったそうだ。

ラッキーボーイだ。

2009年5月17日

長屋にも季節感が…SecondLife通信

出るようになりました。一年中桜が咲いていたおめでたい場所だった長屋にも、ついに季節がやってきました。今年は桜の季節が終わると、青々とした葉桜に変身しました。

週1回、この赤いベンチに座ってデートしています。

ただし、今日はなかなかログインできず、こまりました。日本のサーバーがダウンしていたのでしょうか?