2011年7月24日日曜日

3.11雑感――われらみなアイヒマン

ナチス時代にドイツからアメリカに亡命した政治哲学者のハナ・アーレントは、アイヒマンの裁判を傍聴し、次のようなことを書いたという。

以下、スチュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房1978年刊)からの引用。

「アイヒマンも彼の同僚も、良心の呵責の奇怪な転倒を行なったのだ。かれらは、『肉体的苦痛をみて生ずる…動物的な憐憫の情』を、『そういう本能を周囲の方へ向けかえる』ことで克服できた。『…“何という恐ろしいことを私はあの人たちにしたのだろう”というかわりに、かれらは、“任務を遂行する上で、私は何と恐ろしいものを見なければならなかったことか”ということができたのである。』ほんのたまにアイヒマンは残虐行為に立ち会ったが、その際にはたしかにかれは目撃したことに心を動かされた。しかしかれは――その他多くのものたちも同様に――、犠牲者に対する『正常な』憐憫の反応を示す代わりに、憐憫に値するのは、負わねばならぬ恐ろしい責任のゆえに、むしろそういうポジションにあるものたちだと、自らに納得させ得たのである。」

今回の福島第一原発のそもそもの設置、そして発生した過去のさまざまなミスは、「残虐行為を行なった」のではなく、結果的に「残虐な行為となることを回避するためになにも行なわなかった」という点で、異なるが。

このような良心の呵責の奇怪な転倒は、責任の所在がヒエラルキーの中に消滅するような官僚制の中では、誰にでも起こりうるような気がする。

2011年7月16日土曜日

3.11 雑感 - 官僚制

福島第一原子力発電所の事故が起こった3月11日以降、不思議に思った一番大きな点は、なぜ、東京電力には事故を収束する力がないのか、なぜ日本政府や原子力安全・保全委員会は東京電力に対し、適切な指導ができないのか、ということだった。

もちろん、ほぼ、東北地方の半分に渡る地域で、避難民を救助し、インフラを再建するという大仕事に加え、遭難者の救助、遺体の捜索もしなければならなかった。

それにしても、なぜだろうか。

政治が生活の隅々にまで行き渡った国の官僚が、これほど無能であっていいのだろうか。官僚制というのは、物事がうまく進んでいるときはいいが、非常時には役に立たないのだろうか。あるいは、官僚制の本当の目的は、国民の保護以外の別のものなのだろうか。

2011年7月5日火曜日

3.11 雑感―福島フィフティーズ

3.11 以後、なんだか記憶があいまいになっているような気がする。確かではないが。

というのも、福島第一原発の事故の直後、確か何人かの作業員が残った、というニュースを、つい先日まで記憶の底にしまい、忘れていたことに気づいた。

別の記事を探そうと検索して、偶然ニューヨークタイムズの記事を発見したのだ。それは福島第一原発に残った50人のエンジニアチームについてだった。

当時、海外では「福島第一原発フィフティーズ」として、かなり話題になったらしい。

でも掘り起こした私の記憶では、「何人かの作業員が残された」という、NHK かどこかのニュースだけだった。

また、50人のエンジニアチームのニュースがぜんぜん国内で報道されなかった、と憤っている人がかなりいるらしいが(私もそうだ)、実は、報道されていた。

朝日新聞の Web 版では「、東京電力は15日、福島第一原子力発電所2号機で、爆発音が発生したことを受け、原子炉を冷やすための注水にあたる作業員以外の人員を、発電所内の安全な場所へ移動させると発表した。放射性物質の大量流出による被曝(ひばく)の可能性があるため、50人程度を残して全員が避難するという」というのがある。

産経新聞によると、「(3月)15日現在、福島第1原子力発電所2号機の対応にあたっている作業員、東電社員と協力会社の社員合わせては約50人」とある。「被曝量が高まると、次の部隊と交代することになる」と書いてある。

だから、メジャーなメディアが取り上げず、報道管制がしかれていて、意図的に隠されていた、というのは事実ではない。しかし、その後、この50人がどうなったのか、よくわからない。事故後の原発でずっと作業していたのがこの50人なのだろうか。

全国のハローワークで、高賃金、無保証の作業員を募集しているという、うわさのようなものを読んだ記憶がある。これは、2号機以外の作業員のことだったんだろうか。

津波による広範囲な被害、2万人近い死者行方不明者、それに加えて刻一刻悪化するする原発の状況に、私は圧倒され、恐れおののき、記憶を消してしまったのかもしれない。あまりに怖いので、新聞報道や NHK の報道、Web での海外報道を見ないようにしていた時期が、かなり長くある。

それにしても、事故後の原発に残り、復旧修理作業を行っているエンジニアたちのことを忘れるとは、あんまりではないか。

彼らはどういう作業をしていたのか、また、その後どうなったのだろうか。