2011年7月5日火曜日

3.11 雑感―福島フィフティーズ

3.11 以後、なんだか記憶があいまいになっているような気がする。確かではないが。

というのも、福島第一原発の事故の直後、確か何人かの作業員が残った、というニュースを、つい先日まで記憶の底にしまい、忘れていたことに気づいた。

別の記事を探そうと検索して、偶然ニューヨークタイムズの記事を発見したのだ。それは福島第一原発に残った50人のエンジニアチームについてだった。

当時、海外では「福島第一原発フィフティーズ」として、かなり話題になったらしい。

でも掘り起こした私の記憶では、「何人かの作業員が残された」という、NHK かどこかのニュースだけだった。

また、50人のエンジニアチームのニュースがぜんぜん国内で報道されなかった、と憤っている人がかなりいるらしいが(私もそうだ)、実は、報道されていた。

朝日新聞の Web 版では「、東京電力は15日、福島第一原子力発電所2号機で、爆発音が発生したことを受け、原子炉を冷やすための注水にあたる作業員以外の人員を、発電所内の安全な場所へ移動させると発表した。放射性物質の大量流出による被曝(ひばく)の可能性があるため、50人程度を残して全員が避難するという」というのがある。

産経新聞によると、「(3月)15日現在、福島第1原子力発電所2号機の対応にあたっている作業員、東電社員と協力会社の社員合わせては約50人」とある。「被曝量が高まると、次の部隊と交代することになる」と書いてある。

だから、メジャーなメディアが取り上げず、報道管制がしかれていて、意図的に隠されていた、というのは事実ではない。しかし、その後、この50人がどうなったのか、よくわからない。事故後の原発でずっと作業していたのがこの50人なのだろうか。

全国のハローワークで、高賃金、無保証の作業員を募集しているという、うわさのようなものを読んだ記憶がある。これは、2号機以外の作業員のことだったんだろうか。

津波による広範囲な被害、2万人近い死者行方不明者、それに加えて刻一刻悪化するする原発の状況に、私は圧倒され、恐れおののき、記憶を消してしまったのかもしれない。あまりに怖いので、新聞報道や NHK の報道、Web での海外報道を見ないようにしていた時期が、かなり長くある。

それにしても、事故後の原発に残り、復旧修理作業を行っているエンジニアたちのことを忘れるとは、あんまりではないか。

彼らはどういう作業をしていたのか、また、その後どうなったのだろうか。

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