2007年12月17日月曜日

Second Life-London 2

なんと、セカンドライフのメインランドに潜入以来、初めてアバターとの会話に成功!!

こちらはダンスクラブ。向こうにいる若い男女アバターはクラブのスタッフらしい。
「仕事を探しているの」と聞かれたので「観光だ」と答えたら、「クール」と言われた。

猫女アバターにもめげず、きちんと対応してくれた。やっぱりロンドンはフレンドリだ。

ところで手前のペンギンは何だったのだろう。

舞い上がって、通りに引き返す途中、壁にめり込んでしまった…。

2007年12月9日日曜日

Second Life-London

テレポート先が青とみどりの得体の知れない場所で、ぎょっとしたが、無事ロンドン、ハイドパークホテルに到着。なんだかわくわく。フレンドリな予感。地下のテレポート場所から飛行で脱出すると、白い壁の素敵なホテルだ。

イギリスと言えばマフィン(こじつけ)。マフィンと言えば“幸福”。おいしいマフィンを食べて、ああ、これが幸福と言うもんだ、と実感したものだから、ベニスに続く旅行先はロンドンに即決定。この地でおいしいマフィンにありつけるか、あるいはこれまでのノンフレンドリなセカンドライフの印象を覆せるか。

次回からじっくりロンドン徘徊を始めよう。

2007年12月4日火曜日

Second Life-Venice 5

お、同じ尻尾族発見!! うれしくて話しかけたが、無言。そのうちどっかに飛んでった。なんという無礼な。

"セカンドライフでは暖かいコミュニケーションが取れる”なんてほざいたことを書くやつがいるが、私なんぞいままで一度も(オリエンテーションアイランドを除き)暖かいコミュニケーションを取れたためしがないと言うのに。

ええい、ベニスなんかやめて、次はロンドンだ。

2007年12月2日日曜日

Second Life--Venice 4

ベニスはとても美しい街だ。夜だとつまらないので、世界の太陽を正午に調整してみた。運河で飛び跳ねているイルカも発見。花まで植えられていて、心が和みます。

ただし、アバターを見かけてまた、話しかけてみたけれど、逃げられた。

2007年11月27日火曜日

NQOCD

とは、“Not Quite Our Class Darling”の略で、「彼(彼女)はわれわれの階級に属していない」、つまり身分が低すぎると、えらそうな父親が、あるいはつんと澄ました母親が、いけだかにあるいは心配そうに、息子(娘)に行って聞かせる言葉らしい。最近読んだ「イングリッシュローズの庭で」と言う小説に出てきた。

思い返せば、ジェーン・オースティンの小説には、この NQOCD が、あるときは主なメロディとなり、あるときはサブメロディとなって、流れている。

代表作である「高慢と偏見」が面白いのは、この NQOCD が主なメロディだからだろう。そればかりだけではないが。

まったくダーシー氏の一族にとっては、エリザベスは NQOCD だった。

ところで、現代小説を面白くするのはいったいなんだろう、と考える。NQOCD に代わる新しい偏見、それは社会の枠組みを固定しているものだろうが、それはあるのかないのか、あるとすればなんだろうか。

Second Life-Vevice 3

赤いイブニングドレスを着た若い女性にあった。今回二人目の遭遇。こんどこそは、と声をかけたが、ないている。「どうしたの」、と聞くと、「英語、わからない、チャオチャオ」とイタリア語で答えた。猫女もイタリア語はしゃべれない。コミュニケーション不能。とりあえず「チャオチャオ」と応答したら、突然消滅。

まあいいか。この格好にもかかわらず、返事してくれたから。ベニスに旅行するのなら、さようなら、こんにちは、どうしたの、くらいの基本的なイタリア語は必須だなあと公開する猫女でした。

ベニスはきれいだ。建物の装飾も、運河も、ゴンドラも、丁寧に作ってある。星空もきれいだ。昼間来てみたいものだが、いったい何時に接続すればいいのやら。セカンドライフだけで生きているわけではないので、必然的に夜行性の猫になる。

すぐ近くにアバター二体いるらしいが、地上には見当たらない。飛行中だろうか。

2007年11月25日日曜日

Second Life-Venice 2

猫サンクチュアリの二人の悲報に、傷心の猫女アバター。明け方のベニスで涙にくれる。足元がおぼつかないので、手前の運河に落ちた(どこかに落ちるのが習慣になったのかもしれない)。運河は深くて、水は濃い青で、きれいだが非常に怖かった。

近くに人影を発見。いつも夜中か夜明けにしか出歩かないので、人に出会うのは非常に珍しい。うれしくなって、徒歩で近づくと若い女性。話しかけようとしたが、突然消滅。ログアウトか、テレポートか?

でもなぜ? この猫女の格好に恐れをなしたのだろうか…。またもや落ち込む猫女…。

2007年11月16日金曜日

たくさんのお別れ


この二、三年で、猫サンクチュアリのたくさんの猫にお別れを言わなければならなかった。
今度は黒雪だった。

まだ二歳にもなっていなかったのに、突然死んだ。
彼女の体重と同じくらいのつつましい死だった。
猫たちの死は、みな彼らの身体の重さにぴったり合ってつつましい。

死んで初めて、彼女がいかに多くの愛と信頼を与えてくれたかに気づく。

今は死んだすべての猫たちが、飢えも寒さもなく、穏やかに眠っていることを願うばかりだ。

2007年11月11日日曜日

Second Life-Venice


テレポートした先は、紫色の模様の壁の前。ふらふら浮遊していたので、着地。ここはどこ? 劇場の中?ふかふか(多分)の絨毯が敷き詰められ、すわり心地のいい椅子が並んでいる。

出口と書いてあるところから出たいのだけれども、ドアのノブにどうやって触ればいいのかしら。何しろ不自由なアバターの身。

まあ、いずれにしろベニスビーチよりはベニスのほうが感じよさそう。来週ゆっくり散策しよう。その前にここから出ないとね。

Second Life-Venice Beach-4

気を取り直して地図を眺めた。しかし、どこに何があるのかよくわからないので、とりあえず飛行。

おお、なんと、かなたに見えるのはあのハリウッドではないですか! 我慢した甲斐があったとずんずん飛んで飛んだが、「進入禁止」の赤いテープにぶちあたる。

やっぱりね。ここいらは金持ちの街だ。私有地と進入禁止の街だ。

ベニスビーチで学んだことは、「飛行」中に「飛行停止」ボタンを押すと、アバターが無様にこけるという点だ。自然に着地してこけないようにするには、「PageDown」キーを押せばいいみたい。

ベニスビーチ漫遊はこれでおしまい。次はどこに行こうかなあ。やっぱり本物のベニスか、あるいはパリか、ロンドンか。

2007年11月6日火曜日

Second Life-Venice Beach-3

ローカルタイムは朝の六時。真っ暗なので太陽を調整して正午にした。

正面に見えるのはベニスビーチ。ここにいたるまでまたばかげた失敗がいくつか。飛行でベニスビーチにたどり着こうとしたが、私有地で着陸禁止。じっとしているのにどんどん上昇するばかり。怖かった。貧乏人は空に行け、ということか。怒った。再び徒歩で侵入を企てるが、入り江に水没。海底を歩くことになった。それでも私有地のため、侵入できず。

カール・マルクスのなんだったっけ、初期の論文であった共有地に関するものがちらりと頭を掠めた。

あきらめて引き返すとまた、例のバスに遭遇。なんだ、ぐるぐる回っていただけだったのか。

「風景の中に自然の水の見えたときの、深い心の喜びを…」

大昔の国語の教科書に載っていた詩だ。が、あれは自然の水ではなく、デジタルの水。魚も貝もすまない、死の水だ…。喜びもデジタルのバーチャルで、干からびそう。

ベニスビーチ、いやになっちゃったな。

2007年11月5日月曜日

Second Life-Venice Beach 2

バスに乗れなかったのはかなり悔しい。てれてれ歩くのもいいが、これが結構難しい。舗道は狭いし、自動車道路にはみ出して、車に轢かれたらいやだ。そこで、飛んでみた。

飛んでる写真は初めて!!

適当に着地しようとしたが、最初はがけ下に落ちた。次はかろうじてがけから落ちずに済んだが、アバターがこけた。普通の人間みたいにひざをついたような格好になり、面白い。アバターだから、怪我をしないのでいいが、これがリアルだったら大変。

どこかの裏庭に侵入したらしく、高級車とヘリコプターが止まっていた。金持ちの家らしい。他人の所有物だから、うっかり乗ったら、今度は警察のお世話になりそうだ。

飛行を続けると…、海だ! ベニスビーチだ!(次回に続く)

2007年11月4日日曜日

Second Life-Venice Beach

先週の火曜日、長屋で記念撮影した後、いろいろなことがあった。

まず、ロックグループからハローウィーンパーティのお誘いがあり、「あなたのためだけに歌います」というふれこみだったが、テレポートしてみると無人のステージで、案の定終わっていた。

もうひとつ、別口でショーのお誘いもあり、お仕事もありますよ、ということで、ちょっと心惹かれた(いい加減一文無しから脱出したかった)が、「nude」という言葉に恐れをなし、辞退した。

週末だからなあ、旅行でもしようと、思い、検索でベニス(イタリアの)を見たら、人がいっぱい。これでは、渋谷のときみたいに門前払いを食わせられそうだったので、次善の策として、ベニスビーチ(ハリウッド)に行くことにした。

テレポート先の目の前はメインストリートのファッションハウス。人通りなし。ちょうど停車していたバスに乗ろうとしたが、失敗。多分支払い能力がないせいだろう。「バスくらいただで乗せろよな」と口汚くののしる。一文無しはつらい。

今回は少しベニスビーチに滞在し、あちこち散策してみることにした。

2007年10月30日火曜日

Second Life-My Dear Avatar

黒猫さんと記念写真。長屋にて。

ところで、
「私は私の王女であり、またその民である」
という文章が好きだ。

これは大島弓子さんの漫画からの引用。ちょっと改変した。アバターの自分を見ると、なぜか思い出す。「アバターは私の王女であり、また私の民である」

アバターは不思議だ。昨年の八月にセカンドライフのアカウントを作ってから数か月放置した。マシンのスペックが足りなかったせい。別の事情でデスクトップを手に入れる必要に迫られたので、思い出してクライアントをインストールし、ログインしてびっくりした。

なんと、私は猫女だった。

驚いたがうれしかった。しかし、なぜ私だけ猫女か。リンデンラボのスタッフはものすごいテレバシー能力があり、猫女にすると私が喜ぶと思ったのか。そうやってセカンドライフに洗脳しようとしたのかもしれない。

ともあれ、私のアバターは猫女であり、私はそれがとても気に入っているので、アバターの私は自分が大好きだ。現実世界の私は、自分をあまり好きではない。

不思議なことに、セカンドライフを徘徊して、数々のちゃっちい冒険をともにしていると、アバターが単なるアバターでなくなってきた。それもまた、自分なのだ。これはいったいどういうことだろう。

アバター(民)の数がおおくなれば、どうなるだろうか。

たとえば、コンピュータを数百台並べ、それぞれセカンドライフの別のアカウントをつくり、いっせいにログインしたらどうなるのだろう。お互いに友人宣言をし、徒党を組んでセカンドライフを制覇できるかもしれない。

しかし、数百台のコンピュータを一人で一度に操作できないな。残念だ。それに数百台購入する資金力もないし、スペースもない。世界制覇の野望はこうやって崩れるのか。

数台なら、なんとか購入できるかもしれないが、やはり一度には操作できない。それぞれが自分の人格をもったアバターになり、私のアバターは多重人格ならぬ多重アバターとなるだろう。

多重人格(アバター)は現実の世界では精神病でも、セカンドライフでは正常なのだろうか。

りりしい私のアバターを眺めながら、妄想は尽きない。

2007年10月28日日曜日

Second Life-Nagaya Again


ハローウィーンパーティを抜け出して、ホームにテレポートすると、長屋に来た。最初に来たのが長屋だから、自動的にここがホームになったのだろうか。

前回、まったく無人だった長屋も、さすがにお祭りとあって人影がちらほら。和服の女性、普段着の男性数人。そのうちの一人に話しかけてみたが、逃げられてしまった。巨大猫頭にふさふさ尻尾という私のアバターに恐れをなしたのだろうか。け。

ほかのアバターたちはたいてい、標準ヒューマノイド型で美形ぞろいだ。でも、あまり美形にしてしまうと、現実とのギャップで違和感を感じないのだろうか。あるいは現実もそこそこ美形だ、ということだろうか。

また、猫の声が聞こえる。今回は水の中ではなく、歩道の上に上がっていた。よかったね。しばし、猫との和みのひと時。やっぱり長屋は落ち着くなあ。

Second Life-Halloween Party

ハローウィーンパーティを覗いてみた。みなさん、ギャル系コスチュームですね。人がたくさんいるせいか、とっても重かった。白い骸骨の幽霊が飛んでいたり、写真に写っているカラス?の亡霊も飛んでいた。出席者は知り合い同士のようで、なんかネットのオフ会、という感じ。

セカンドライフというのは、知り合いがいたり、お金をたくさん持っていないと、面白くないところかもしれない。私のようなのはセカンドライフ難民というのだろう。

2007年10月23日火曜日

Second Life-Crazy Shibuya

テレポートの着地先は、どこも恐ろしげな山の中か、草ぼうぼうの荒地。いつ着地しても怖くて途方にくれるが、人のいそうな場所を求めて飛行。

今回はプールなし。だが、若いアバターたちが無言で踊り狂っている。いつまでたっても踊り狂っている。魚も飛んでいる。なんというクレイジー。レンダリングが間に合わないのか、裸のアバターも数体。おぞましいやつもいた。写真はそれをはずして撮影したもの。

三箇所の渋谷を訪問したが、どうも私には合わないようだ。現実の渋谷も苦手だが、バーチャルの渋谷も居心地が悪い。また、どこかにテレポートしないと…。

2007年10月21日日曜日

Second Life-Shibuya

検索すると渋谷はたくさん出てきる。最初に、一番たくさんいるところにテレポートしたが、人が多すぎて、テレポートに失敗。二番目にテレポートしたところは、これまた草ぼうぼう、の山の中。なんとか街中に出たが、飛行に失敗してプールに落ちた。

這い上がれない…。何をやってもだめ。プールの表面に見えるごみみたいなのが私。

仕方がないので渋谷の別の場所にテレポート。

Second Life-Live

あららあ。誰もいない。コンサート、とっくに終了。海がきれい。夕日がきれい。

前にセカンドライフには時刻がない、と書いたが、それはうそ。おまけに勝手に変えることもできる。日の出、真昼、日没、深夜と、オプションは少ないが。

ちょっと飛行したりしてみて、遊んだが、誰もいないのではつまらない。人のいそうな渋谷にテレポートしてみた。

2007年10月20日土曜日

Second Life-Secret Place

ここは秘密の場所。セカンドライフ内のさまざまなグループからお誘いがくるが、そのうちの無料のものは手当たり次第に参加している。そのうちのひとつ。何をするところか、わかりません。最初にてレポートしたときは二人の女性がいて、日本語をしゃべっていた。

次に接続したときは無人。波の音がすごい。背後に海があるみたい。創造途中の場所みたいで、隣は荒れ果てた庭のようだ。

仕方がないので、もうひとつ来ていた、どうもロックバンドのファンクラブらしいお誘いに乗り、グループのお知らせの添付を開いてテレポート。だいぶ慣れてきた。

2007年10月17日水曜日

Second Life-Nagaya, Little Tokyo

無事長屋にテレポートした。

その前に、どうやってオリエンテーションアイランドを脱出したか、書いておこう。

検索の場所で「nagaya」と入力、テレポートボタンを押す、たったそれだけだ。一瞬画面はブラックアウトする。まるで宇宙船で高速移動するみたい(多分こんな感じ)に、怖い。

ところで、着いた先の長屋のテレポート発着場所は、草ぼうぼうの端っこにある。まるで田舎の場末の飛行場か、それよりひどい。これはあんまり。

よろよろと建物の裏道をたどり、堀に落ち(なぜか濡れない)、壁に突き当たり(痛くないのはありがたい)、このきれいな場所に着いた。どこからか猫の声が…。よく見ると水の中に黒猫さんがいる。

「ちょっとあんた、大丈夫? そこ、水の中よ」と声をかけて、駆け寄り、抱き上げてあげたいが、そういう細かい動作ができない、アバターの悲しさ。

長屋はきれいだけれど、人っ子一人いない、閑散とした場所だった。季節もなし、時刻の変化もなし。いつも桜が満開という、奇妙な環境。あまり広い場所ではないらしい。飛行も禁止だし。

そこでまた、テレポート。あ、怖い。

2007年10月16日火曜日

Second Life Hitchhiking Guide-Orientation Island

セカンドライフにアカウントを作ったものの、放置すること数ヶ月。ようやくログインして、歩き方を習い、オリエンテーションアイルランドに入った。

でも、四科目すべてをクリアするのは大変なので、無謀な飛行と海への墜落と言うパフォーマンスをやった結果(かどうかわからない)、メインランドに潜入できた。

落ちこぼれセカンドライフの始まりだ。着いた先はリトル東京、長屋。これは次回に。

2007年10月13日土曜日

Green Screen

グリーンスクリーン(Green Screen)とは、メインフレームのキャラクタベースのユーザーインターフェイスのことだが、これはある種の悪口にも使われるらしい。

つまり、時代遅れ、と言う意味だ。Software AG から来た人が言っていた。いまどきの新しいシステムは、GUI ベースでブラウザから操作する。

しかし、これを悪口だととる人は少数かもしれないので、「あなたはまったくグリーンスクリーンね」と、面と向かっていう機会があったら、すかさず使ってみたいものだ。


http://www.softwareag.com/Corporate/Images/ApplinX-TulsaCo%20CR_070405_tcm16-14273.pdf

2007年10月11日木曜日

Street HTML

「ストリート HTML」(Street HTML)という用語を初めてみたのは、2004年3月、
Opera のリリースだった。


Street HTML is the term for the non-standard code that makes up the "real" Web, authored by developers with unintended and intended bugs to look good in the non-standard-compliant Microsoft Internet Explorer desktop browser.




Today's Internet pages are not written according to standards but using what is commonly referred to as Street HTML. Unlike any other device browser, Opera's desktop browser experience and regularly updated cross-platform core technology enable the full Internet on devices.


面白い用語だな、と思ったのに、その後流行する気配はなかった。
この時期、Microsoft は盛んに Opera をいじめていたような気がする。
それに対する Opera のささやかな反抗だったのだろうか。

2007年9月24日月曜日

Red Dragonfly

赤蜻蛉は英語では“レッドドラゴンフライ”(Red Dragonfly)だ。
物々しいのかかわいらしいのか、どちらなんだろう。

赤蜻蛉といえば加賀千代女の句に、「赤蜻蛉、今日はどこまで行ったやら」と言うのがあると勝手に思い込んでいたら、出だしはどうも「蜻蛉取り」であるらしい。子供を亡くしたときに読んだと言う解説があったような気がする。

今年の夏は短く激しい暑さだった。年寄りの猫たちには堪えたのだろう。年寄りでなくても、路上で生活する猫には耐えられない暑さだった。たくさんの猫が亡くなっただろう。十八年と二十日、暮らした私の猫も逝った。赤蜻蛉が、珍しくたくさん飛んでいた。


そこで一句。

逝く夏を惜しんで帰らぬ猫を待つ


遊びほうけてまだ帰って来ないだけだ、と思えば、少しは悲しさが和らぐような気がする。

2007年9月19日水曜日

百年の信頼――イラン・イラク戦争の陰に

1985年、イラクの大統領サダム・フセインはイラン・イラク戦争の長期化にしびれをきらし、「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、これ以降テヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告。


テヘランから、ドイツ人やイタリア人は自国の航空会社の臨時便で退去していくが、どこの航空機も自国民優先で、事前に国外脱出できなかった日本人がおよそ200人、期限を目前に空港ロビーに取り残された。


日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」と断られた。当時駐トルコ大使だった野村氏が、日頃から親交のあったトルコの駐イラン大使、ビルレル氏に窮状を訴えたところ、大使の要請を受けたトルコ航空は2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せて、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返した、という。


ビルレル大使は野村大使に対して、「エルトゥールル号遭難の際の恩返しだ」と言ったそうだ。
(以上日本とトルコの民間友好史より)


が、「エルトゥールル号」のことを知っている日本人はほとんどいないかもしれない。


話は約100年前にさかのぼる。ともに列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコと明治政府は、平等条約締結を促進すべく、1890年、エミン・オスマン海軍少将を団長とする使節団が来日したが、彼らの乗船していたエルツゥールル号は帰途、和歌山県串本町大島樫野崎沖で座礁したのだ。

これは587人が殉職する大海難事故で、生存者はわずか69人。大島島民は不眠不休で救助に当たり、生存者の救出などにあたったという。

また、日本全国から義金や物資が寄せられ、治療を終えた生存者は日本海軍の軍艦で無事トルコのイスタンブールに帰った。この話はトルコでは教科書に掲載されるほど有名だそうだ。
(以上は串本町ホームページ、トルコとの交流より)


長くなったが、話の骨子は、一度確立された信頼は、時によってすごい威力を発揮する、ということだ。
というわけで、日本発の多国語ショッピングサイト「Youbuy」の創設メンバーは、トルコの方である。
トルコ IT 業界では有名なアイハン・ベルメク氏も取締役に名を連ねている。エルトゥールル号の話もイラン・イラク戦争の話も、運営会社のE-BUYの報道資料にあった。
(http://japan.internet.com/ecnews/20070914/4.html)

2007年9月17日月曜日

2001年9月11日

夜の11時ころ、たまたまCNNのニュースを見ていた。
大きなビルに飛行機が突っ込む映像が流れてびっくりした。
アメリカの友人にそのことをメールで伝えたが、
それで初めて彼らは貿易センタービルの惨事を知ったそうだ。

今はカリフォルニアに住んでいるが、
夫婦ともにニューヨーク育ちで、なじみの深いビルだったそうだ。

奥さんのほうがそのことをブログに書いていた。




I grew up there. I was a small child when the Towers were being built. I remember seeing the scaffolding and huge cranes. I worked in Tower Two for a short time while in school, ate at Windows on the World, shopped in the Concourse.

I took my younger son to school that day and one of the other mother's was the wife of a CHP officer. Her husband had been called in to work as they had been put on high alert. That was the first time I heard what had happened.

I salute all who ran up the stairs while so many ran down. They gave the greatest gift of all.

2007年8月28日火曜日

「普通」であることの偉大さ

自伝は面白い。
もちろん、自伝でなくても第三者によって書かれた伝記も、面白い。

著名な人の伝記は、出版社が出版するので、
手に入るが、普通の人々の自伝は、自費出版であり、
親戚や親しい友人でない限り、ほぼ入手は不可能だ。

素人が書いた自伝なんか、つまらない、と昔は思っていたが、
「普通」に生きることがいかに難しいか実感する年頃になると、
自費出版も面白いと思うようになった。
まともな人生をまともな価値をもって生きた「普通」の人を知るには、
これが一番ではないだろうか。

もちろん直接話を聞くことができれば、それが一番だが、
一生分を話してもらうには、何日もかかるだろうし、
聞き漏らしたり、相手が話し忘れたりすることも出てくるだろう。

『思い出の記』は、たまたま、十何年年も前に同僚だった人の、
おばあさんの自伝だ。
その同僚は運良く編集者でもあったので、
おばあさんの伝記を、美しい一冊の本に仕上げた。

長野県の山間部の村に明治四十年に生まれたツルヨさんは、
小学校で成績が良かったにもかかわらず、
進学せずに、お百姓さんだった両親を手伝うことに何のためらいもない。

これが、田山花袋の『田舎教師』的、文学愛好者であれば、
あるいは出世至上主義者であれば、
進学できなかったことを一生悔やむか、
あるいは、無理をして進学し、その後挫折の人生を歩む、
ということになるのだろう。

しかし、普通のまともな女性はそういう風には生きない。
ころあいを見て、日赤の看護婦になろうか、あるいはそれがだめであれば、
産婆への道を進むのだ。

お見合いで結婚し、
子供を育てながら、戦後は助産婦として、七十歳意過ぎまで働くと言うのは、
これはもう、単なる「普通」では済まされない。

偉大な「普通」の人生だ。