2007年10月30日火曜日

Second Life-My Dear Avatar

黒猫さんと記念写真。長屋にて。

ところで、
「私は私の王女であり、またその民である」
という文章が好きだ。

これは大島弓子さんの漫画からの引用。ちょっと改変した。アバターの自分を見ると、なぜか思い出す。「アバターは私の王女であり、また私の民である」

アバターは不思議だ。昨年の八月にセカンドライフのアカウントを作ってから数か月放置した。マシンのスペックが足りなかったせい。別の事情でデスクトップを手に入れる必要に迫られたので、思い出してクライアントをインストールし、ログインしてびっくりした。

なんと、私は猫女だった。

驚いたがうれしかった。しかし、なぜ私だけ猫女か。リンデンラボのスタッフはものすごいテレバシー能力があり、猫女にすると私が喜ぶと思ったのか。そうやってセカンドライフに洗脳しようとしたのかもしれない。

ともあれ、私のアバターは猫女であり、私はそれがとても気に入っているので、アバターの私は自分が大好きだ。現実世界の私は、自分をあまり好きではない。

不思議なことに、セカンドライフを徘徊して、数々のちゃっちい冒険をともにしていると、アバターが単なるアバターでなくなってきた。それもまた、自分なのだ。これはいったいどういうことだろう。

アバター(民)の数がおおくなれば、どうなるだろうか。

たとえば、コンピュータを数百台並べ、それぞれセカンドライフの別のアカウントをつくり、いっせいにログインしたらどうなるのだろう。お互いに友人宣言をし、徒党を組んでセカンドライフを制覇できるかもしれない。

しかし、数百台のコンピュータを一人で一度に操作できないな。残念だ。それに数百台購入する資金力もないし、スペースもない。世界制覇の野望はこうやって崩れるのか。

数台なら、なんとか購入できるかもしれないが、やはり一度には操作できない。それぞれが自分の人格をもったアバターになり、私のアバターは多重人格ならぬ多重アバターとなるだろう。

多重人格(アバター)は現実の世界では精神病でも、セカンドライフでは正常なのだろうか。

りりしい私のアバターを眺めながら、妄想は尽きない。

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