2009年12月13日日曜日

Second Life な日々


久しくセカンドライフについて書かなかったが、決してここに来なかったわけではない。

大体週に一度、Nagaya をのぞいていた。

しばらくセカンドライフにログインしていない人はきっとびっくりするかもしれないが、以前は一年中馬鹿みたいに桜の花盛りだったのが、今年になって、夏には花を落とし青々とした葉が茂るようになった。秋には、それが紅葉し、冬には葉を落として黒い裸の木になったのだ。

しかも、今日は雪まで降った!写真ではよくわからないが、実際には粉雪が降っている。

雪が降るようになるまであと何年かかるのかと思っていたので、これには驚いた。

雪を降らせるにはどのような技術が必要なのだろう。この雪を大地に積もらせるには、あとどのくらいの時間がかかるのだろう。

2009年10月18日日曜日

言語は社会的なゲームである

たった一人で森の中に住んでいるとしたら、たとえ、成人するまで人間の社会で教育を受けたとしても、言語は必要ないだろうと思う。

言語はコミュニケーションの道具であるが、道具以上の道具である、というような意味のことを、野矢茂樹氏は『哲学・航海日誌』(春秋社刊)の中で書いている。

靴も衣服も、体を守る道具であり、飛行機や車や鉄道も、移動のための道具である。だが、単なる道具では済まされない。これらの道具こそが人類の築き上げた文明の核心だ。

ましてや、言語は人間が、単なる道具、と言い捨てて済まされる道具ではない。

言語はコミュニケーションのための道具であるが、コミュニケーションと言う限り、他人を必要とする。日々、私たちは他人の言語行為を受け止め、評価するが、同時に自分の言語行為も他人の評価が必要なのだ。そうでなければ、コミュニケーションは成り立たない。

「言葉にならない思い」などというものは存在しない。言葉にして初めて、他人の評価を受けられるようになるからだ。言葉にならない、のは、道具をよく使いこなせていないからかもしれない。

2009年10月12日月曜日

閑話休題―同時代人たち

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)は1889年4月26日に生まれ、1951年4月29日に死んでいる。

私のもう一人の敬愛する哲学者、思想家のシモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)は、1909年2月3日生まれで、若くして1943年8月24日に死んだ。

二人はほぼ同時代人だといえるだろう。

私の好きな作家の森 茉莉も、1903年1月7日生まれで、長生きして1987年6月6日に死んでいるが、
第二次大戦前、ヨーロッパに行き、ドイツにも立ち寄っている。

確か同時期にシモーヌ・ヴェイユもドイツに旅行していたはずだ。どこかで出会わなかっただろうか。

シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir:1908年1月9日 - 1986年4月14日)も同時代人だが、あまり好きではない。サルトルもなんだか中身がないような気がするのは、私の偏見かもしれないが。

エコール・ノルマルでサルトルの同級生だったポール・ニザンはいい。政治に翻弄されて、若死にしたのは残念だ。生きていればもっとたくさん面白い小説を残してくれただろうに。

2009年10月4日日曜日

Wittgenstein――メモその8 対象の論理形式

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

事実から論理空間へのジャンプは、事実を対象に解体し、それを再構成するプロセスが必要だが、「事実を対象に解体する」とはどういうことだろうか。

2.01231 対象を捉えるために、たしかに私はその外的な性質を捉える必要はない。しかし、その内的な性質のすべてを捕らえなければならない。

野矢氏によれば、ここで「外的な性質」と言われたものが、普通私たちが「性質」と呼んでいるものらしい。

つまり、「赤い」トマト、「太った」ミケ、など。

一方「内的性質」とは、「それがないと対象の同一性が失われ、それゆえその性質をもっていないと想像することができない」もの、すなわち「時間的空間的位置」、なんらかの「色と形と硬さ」。

「内的性質」は「対象の論理形式」だそうだ。

そこで、

2.01231 改 対象を捉えるために、たしかに私はその性質を捉える必要はない。しかし、その対象のもつ論理形式のすべてを捕らえなければならない。

2009年9月27日日曜日

Wittgenstein――メモその7

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

3.001 「ある事態が思考可能である」とは、われわれがその事態の像を作りうると言うことにほかならない。

よって、「思考可能性の限界と像の可能性の限界は厳格に一致」する、と結論付けたが、さて、それでは、像と言語はどういう関係にあるのだろうか。

「像と言語とは同じものである」(としてもたいした危険はない)と野矢氏は言う。

引越し先のレイアウトを紙に書いた例が出たが、机を意味する紙切れ、本棚を意味する紙切れ、それらの配列が部屋の家具の配置を意味しているなら、「こうした像の使用をどうして『言語』と呼んでいけないことがあるだろう」

もっとも重要な点は、「成立していることの総体であるこの世界」(現実)から「成立しうることの総体である論理空間」へのジャンプは、「言語が介在するということである」。

言語と言うのはやっかいである。まず、私たちは何かを考え(すなわち思考し)、それについて言葉をあてはめていく、と考えている人が多いのではないだろうか。そうではなく、言語が先なのである。言語のないものについては、考える、ことはできない。

夢がそうだ。夢は脳の活動の残照なので、あとで思い出そうとしても、言語で救い出せない。その端からぼろぼろ零れ落ち、霧散してしまう。

2009年9月23日水曜日

Wittgenstein――メモその6

指標になるように、Wikipedia から以下を抜き出して表示してみた。

1. Die Welt ist alles, was der Fall ist.
2. Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.
3. Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke.
4. Der Gedanke ist der sinnvolle Satz.
5. Der Satz ist eine Wahrheitsfunktion der Elementarsaetze.
6. Die Allgemeine Form der Wahrheitsfunktion ist : [\bar p,\bar\xi, N(\bar\xi)]
7. Wovon man nicht sprechen kann, darueber muss man schweigen.

以下は英訳。

1. The world is everything that is the case.
2. What is the case (a fact) is the existence of states of affairs.
3. A logical picture of facts is a thought.
4. A thought is a proposition with sense.
5. A proposition is a truth-function of elementary propositions.
6. The general form of a proposition is the general form of a truth function, which is: [\bar p,\bar\xi, N(\bar\xi)].
7. Where (or of what) one cannot speak, one must pass over in silence.

Wittgenstein――メモその5

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

繰り返しになるけれど、
2.141 「像はひとつの事実である」

像=論理空間=言語を代理物とする可能的結合=事態。
しかし、言語もまた、インクのしみとして、のどから出てきた音声として、「世界の中で生じるひとつの事実」だ。

そこで、論理空間は世界を含むが、世界はまた、論理空間を含んでいることになる。

だが、野矢氏は、これはパラドクスではない、とする。
「私」がいる部屋を含んだ建物を取り囲む絵が描かれた紙が、部屋の中にあるというにすぎない。

「思考」が「像において世界の可能性を試みるもの」であるなら、

3.001「ある事態が思考可能である」とは、われわれがその事態の像を作りうるということにほかならない。

よって、「思考可能性の限界と像の可能性の限界は厳格に一致」し、
「像と思考は同じもの」(と言っていい)であるから、思考の限界は言語の限界となるのではないか。

2009年9月22日火曜日

Wittgenstein――メモその4

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

なかなか進まない。でもこの難解でシンプルな文章には心地よさがある。

さて、

2.01改「事態とは諸対象の『可能的』結合である」

を、野矢氏は再び言い換える。

2.01 改の改「事態とは諸対象の代理的結合によって表現されるものである」

この「表現されるもの」が、(言語による)論理空間だ。この論理空間は、どこか別の次元にある世界ではなく、事実ではない「(成立していない)事態というのは、現実の代理物によって像として表現される以外、生存場所をもたない」。

この「像」は、

2.141 「像はひとつの事実である」

となるのだ。

むむ。なぜなら、「言語もまた、世界の中で生じるひとつの事実である」からだ。

2009年9月20日日曜日

Wittgenstein――メモその3

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない

これを、野矢氏は次のように言い換える。

世界は事実の総体であり、固体、性質、関係の総体ではない
事実は、もの、つまり、人間の眼前にあるもの、個体(たとえば、猫のミケとか犬のポチとかの個体と、その性質、白い色とか三毛とかの性質、三毛は座布団の上にいるとかポチは犬小屋にいるとかの関係性の寄せ集めではない、と言いたい。

つまり、生き生きとした事実の総体が世界なのだ。個体、性質、関係は結合している。丸ごとの事実。

そこで、「可能的な事実」としての「事態」でも諸対象(個体、性質、関係)は結合していなければならない。

2.01 事態とは諸対象の結合である

これは、言い換えられて、
事態とは諸対象の『可能的』結合である
となる。

むずかしいなあ。

事態は、現実の結合、事実ではないので、「言語」を介した「箱庭装置」だと言われる。
野矢氏は、例として、引越しのときにあらかじめ紙に書いておいた新居の間取り図をあげる。
「箱庭装置」を媒介する「言語」は、その意味ではなく、あくまで「音声」や「文字」(見ようによってはインクのしみ)という代理物として、見なければいけない。

何を書いているのかわからなくなってきたが、まあ、これはメモなので。

2009年9月14日月曜日

Wittgenstein メモその2

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

「世界は成立している事柄の総体である」

英訳のほうがすっきりしているなあ。

The world is all that is the case.
(http://plato.stanford.edu/entries/wittgenstein/#TLP Pears/McGuinness translation)

「世界」(
The world)は現実世界のことだ。あらゆる生物は人間も含め、「ひとつの世界に生き、このひとつの世界にしか生きていない」が、人間には「思考」するというやっかいな能力がある。つまり「人間は可能性を了解している」。

ところで、それでは思考とは何かと言うと、「成立しうる事柄の総体」で、こちらは「論理空間」と呼ばれるそうだ。


そして、「論理空間の限界が思考の限界」だ。

2009年9月13日日曜日

Wittgenstein メモ その1

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

まずは「序文」から。

『論考』は思考の限界を画定した。

私たちが考えうる限界はどこにあるか。どうやって線引きするか。
考えるとは何によって考えるのか、言語によってである。
そこで、「思考の限界は言語においてのみ引かれる」のである。
つまり、「言語の限界は思考の限界と一致する」。

言語の限界を画定するのが、『論考』という小さな本なのだ。

言語の限界が画定されると言うことは、どういうことか。

つまり、あの有名な言葉にたどり着くのだ。
「語りえぬものについては、ひとは沈黙せねばならない」

ウィトゲンシュタインと言う人は、おそろしく潔癖な人だったんだなあ、と納得する。


2009年9月6日日曜日

Boys!

時々思い出す、小学校の同級生だった少年がいる。

特別仲が良かったわけでも、好感を持ったやつだったわけでもない。どちらかと言えば、いやなやつだと思っていた。いつも不機嫌で神経質で、皮肉屋だった。

教師の息子で、その父親と仲が悪かったそうだ。十七歳で、結核をわずらい、死んだそうだが、それをいつ、誰から聞いたのかは思い出せない。

いつも不機嫌だったのは、そのころからすでに病気が進行していたからだろうか。

もう一人は、名前すら思い出せない。こちらは高校1年のときのクラスメートだ。隣町の出身なので、小中学校は別だ。

元気が良くて、活発で、本なんか一行も読みたくない、というような感じの、少年だったが、2年になって、成績別クラス分けが始まり、受験勉強がすべて、という雰囲気になると、だんだん元気がなくなり、萎縮し、私の視界から消えていった。普通の少年が普通のまま、萎縮せず生きていけないとは、切ないと思う。

放課後、ひとりいじましく残って、難しい文芸評論を読むような早熟な少年もいたが、どうもそういう子はあまり好きではなかった。

2009年8月30日日曜日

『ジェイン・オースティンの手紙』

1970年代までは、どの家にも状差しというものがあり、親兄弟、親戚、知人などから来た手紙が差し込まれていたと思う。電話料金は高く、よほどのことがない限り、長距離電話はしなかった。

いまや、世界中どこにでも、瞬時で届く電子メール、というものがある。相手がインターネットに接続できる環境にあることが前提だけれども。

ジェイン・オースティンの生きた時代には、当然、電子メールはおろか、電話すらなかった。彼女は、姉や兄、友人たちに膨大な手紙を書き、日常生活のこまごまとした事柄などを、伝えている。

それを読むのは、実に面白い。まるで、彼女の時代にともに生き、最近あった出来事を知らせてもらっているかのような錯覚を覚える。自分のものを含めた恋愛、結婚、病気、死別、その合間に、シャツを縫ったり、ドレスを注文したり、帽子につける飾りについてあれこれ悩んだり。

まとまった小説ではないのに、これほど面白い書簡集は、読んだことがない。

2009年8月23日日曜日

猫の家族

現在、6匹の猫がいる。

年齢順だと、まりい(十三歳)、ピーター(十一歳)、点子(七歳)、もも(四歳)、ブー(三歳)、フー(三歳)。

ピーターは黒トラの甘えん坊のいばりん坊だが、まりいにだけは頭が上がらない。そのまりいは、ももが苦手。ももは、オス猫の癖にきれいな赤虎の美人風で、ほっそりとしているが、ブーとフーの母親を演じ、二人を支配下においている。あわよくば、まりいをも自分の娘にしたいとおもっているようだ。

ピーターも、ももが苦手で、自分の座りたい場所にももが座っていると、一応脅すが、その脅し方がいかにも形式的で、すぐあきらめる。時々ももにおいかけられて、ひゃあひゃあ、逃げ回っている。

ブーは大柄の黒トラで、子猫のときに、柿太(パートタイム飼い猫)につれられてやってきたときが、そのときも、子猫にしては異様に大きかった。今では一番の大猫だが、一日中外を走り回っているので、スリムになった。

フーは、猫にしかなついていない。ももが一番好きで、家にいるときはべったりもものそばにいる。

そういえば、ブーもフーも、おととし十八歳で死んだ梅子が大好きだった。自分たちの母親だと思い込み、そのころはももより梅子の体にへばりついていた。

梅子が死んだとき、ブーはずっと梅子に付き添っていて、その後しばらく元気がなかった。ブーが人間になつくようになったのは、その後だ。

柿太のほかに、もう一人パートタイムの飼い猫がいる。うーだ。うーと柿太は、寒い冬以外は夜しか来ない。ご飯を食べて、ブラッシングして、気がついたときはもう外出していることが多い。

柿太に連れられてやってきたブーだが、最近柿太の父親代わりのうーとうまくいっていない。理由はわからない。

2009年8月16日日曜日

父の写真

父が立っているのは第二次大戦中の南方の小さな(多分)島である。大きな黒トラの猫を抱いて、口元だけ笑っている。穏やかな表情で、とても戦争中とは思えない。飾りのない地味な帽子に、半そでシャツ。

この写真は、十数年前、火事にあったとき焼けてしまった。そのころでさえ、セピア色に退色し、ふちが少し欠けていたから、もし、今焼けずに残っていたとしても、ぼろぼろだろう。

もう一枚は、想像上の写真。

黒いオープンカーに乗り、ハンドルに手をかけて笑っている。後部座席には、ドイツシェパードが二頭、陽気に笑っている。かれらはこれからレストランに食事をしに行くところだ。こちらは、もう少し大きな島にいたときだろう。

父は海軍のパイロットだった。戦争中の話を酔っ払ってよくしたが、戦闘の話ではなく、猫や犬たちの話だ。今となっては、それでよかったのだと思う。

2009年8月13日木曜日

夏休みと三文小説と…

久々にまるまる1週間、休暇をとった。

子供の夏休みのようだ。

何が、というと、休暇中に少しでも英語を練習しなければ、と言う強迫観念に脅かされつつ、三文小説に現を抜かすところが。

休暇の始まる少し前に図書館に三文小説を仕入れに行った。

コンピュータゲームやらインターネットやらの隆盛で少しは利用者が減ったかと思っていたが、昔と変わらず、子供たち(学生)が勉強部屋代わりに使っていたり、妻に追い出されたのか、サラリーマン風の若いのやら年取ったのやらの男性たちが雑誌をめくり、にぎやかだった。

昨年もこうして三文小説を大量に借り出し、読んだが、今年はなぜか、去年ほど面白くない。

なぜだろうか。

普段は寝る前にジェーン・オースティンとかアン・タイラーとかの、いわゆる純文学を、繰り返し繰り返し、読むが、そのせいだろうか。

成功した三文小説、娯楽小説、は、読者を楽しませるために読者の期待を裏切らないために、あらゆる工夫を凝らしているはずだ。それで面白くない、とは私の趣味が変わったせいなのだろうか。

たとえば、アン・タイラーの『あのころ私たちは大人だった』は、50歳を過ぎた女性の、春から冬にかけての話だ。それほどとっぴなことは起こらない。ずいぶん昔に亡くした夫との生活、そのはるか昔に別れた最初の恋人とのあれこれ。

義理の娘たちの結婚、出産、義理の叔父の百歳の誕生日、などなど。

でも、読み捨てるべき言葉はひとつとしてない。どれもこれも、作者の中から苦労して取り出され、調理された極上のものだ。たとえ翻訳と言うフィルターを通していても。

しかし、本当のところ、三文小説と純文学を分ける決定的なものは、何なのだろうか。

2009年7月26日日曜日

新しいワインと新しい皮袋

新しい皮袋に古いワインを入れて失敗した例:
MySpace
既存のアーティストを呼び物にしてしまった…。

新しい皮袋に古いワインを入れて失敗しつつある例:
Yahoo!
何が古いワインか、というと怒る人がいそうだが、新聞社とか、紙媒体の習性を引きずっているニュースメディアとか、いろいろ。

新しい皮袋に新しいワインを入れて大成功した例:
Youtube、Twitter、Facebook などなど Google の子供たち。

2009年7月12日日曜日

金持ちアバター、貧乏アバター

最近セカンドライフで出会う見知らぬアバターたちが、凝った服装をしている。

昔の侍風だったり、豪華な振袖だったり、ひらひらドレス(ワンピースと言うよりドレス)だったり。彼らは大枚をはたいて(アバターの所有者から)買ってもらったのだろう。

ちょっとうらやましい気がしないでもない。

私のアバターの服装は、デフォルトをちょっと変えたら、さえない地味なOL風になってしまし、お金をかけていないので、ものすごくシンプルだ。

もし、こういうバーチャルワードに夢中で、可処分所得も私よりずっと多い独身貴族だったら、アバターの服装にお金をかけるだろうなあ。その気持ちはよくわかる。

2009年7月5日日曜日

シャーリー テンプルの秘密

ベランダに住み着いた蜘蛛の夫婦に、シャーリーちゃんとテンプル君と名前をつけた。

雨の多い季節になって、ベランダに這い上がってくるナメクジを食べてくれるのを期待していた。

ところが、長年暮らしてきた同居人が、蜘蛛恐怖症だと言うことを、初めて知ったので、名前をつけたことを言わずじまいになった。室内にいる胴の幅が1ミリくらいの小さい蜘蛛だと、まだ大丈夫らしいが、シャーリーちゃんもテンプル君も、幅5ミリくらいの、黒々とした立派な蜘蛛だ。

ある日帰ってみると、ベランダにあったシャーリーちゃんたちのネットが、跡形もなく、なくなっていた。同居人が掃除してしまったのだ。シャーリーちゃんたちは、どこかに逃亡したそうだ。

最近、ナメクジが出なくなったね、あの蜘蛛たちが食べてくれたんだろうね、と同居人は言うが、実は違うのだ。もちろん、少しは食べてくれたのだろうが、大半は私がティッシュにくるんでビニール袋に入れ、捨てていたのだ。

残酷な殺し方かもしれないが、仕方ありません。

今でも同居人は、シャーリーちゃん夫婦が、ナメクジを退治してくれたのだと信じているが、私はその誤解を解こうとは思わない。人生には、必要な嘘もあるよね。

2009年6月28日日曜日

エコノミークラス症候群

職場の空間はお世辞にも広いとは言えない。

足を伸ばそうとすると、机の下に置いたファイルにぶつかる。椅子を引こうとすると、後ろの壁にぶつかる。横に椅子をずらすと、ロッカーにぶつかる。

昼休みはチープなカフェで過ごす。

こちらはいっそう狭い空間。一人当たり50cm平方メートルだろうか。椅子は小さく固い。20分も座っていると体はコチコチだ。

先日、信号が青から黄色に変わる途中の広い交差点を、走って突っ切ろうとしたら、足が突然痛み出した。

飛行機のエコノミークラスにしょっちゅう乗るような出張の多いサラリーマンではないのに、すでにどっぷりとエコノミー症候群です。

パーティションで一人一人区分けされた職場で働く、高級サラリーマンになりたいものだ。

2009年6月21日日曜日

心のよりどころ――the support of the heart

というのかどうか、わからないけれど、今のところ東京タワーを毎朝見て通勤している。

生まれ育って故郷を出るまでの18年間、毎朝韓国岳を見てすごした。大学の6年間は桜島があった。

突然上京して何もない。富士山はいまや東京からは見えない。荒川や江戸川は、川なので地上を流れていて、すぐ近くまで行かないの見えない。心もとない日々だった。

東京タワーを見ながら通勤できるようになって、なんだか安心したのだ。赤と白のシンプルなデザインもいい。

遠いところからも見える高い山が、なぜ信仰の対象になるのか、わかったような気がする。何百年も何千年もたってもいつも変わらないもの、だからかもしれないし、物理的に背中を支えてくれるような錯覚を覚えるのかもしれないし…。

東京タワーが何百年も持つかどうか不安だが、とりあえず、変化の激しい東京にあっては、皇居の次くらいには変わらないものだ。

2009年6月14日日曜日

言の葉、言葉、言語、Language

言葉がなければ人間は考えることはできない、ということは、今では哲学的には常識だけれど、一般の人がそう考えることはなかなか難しい。

ところで、昨夜、あるいは今朝目覚め時に見た夢を覚えていますか? 覚えていたとしても、説明できますか?

いざ、思い出そうとすると、まるで綿飴の塊のようにとけ去って、何も残らなかったりする。

これは、夢が脳のリハビリの残骸で、もともと言語化されていなかったから、じゃないかと思う。リハビリの残骸にいちいち言葉を当てはめようとしても、砂糖を水で洗うようなものだ。

ところで、コンピュータにも言葉はある。あるので、何かコンピュータにさせようとするなら、コンピュータ言語、機械語というのだろうか、で書いてやらなくちゃならないそうだ。

機会言語を与えると計算するコンピュータと言うものも、もちろん人間の作ったものであるから、言語がなければ、計算=考えることはできない。

ちょっと面白いね。

2009年6月7日日曜日

時間について

カントは『純粋理性批判』で、「時間と空間は人間の思考の枠組みである』というようなことを書いている。

そうか。ということは、「時間」というものが、りんごや猫や人間と同じレベルのものではなく、言ってみれば、人間の妄想かもしれないね。

「過去」「現在」「未来」について、もっともらしく私たちはしゃべったりするけれど、それにいったいどんな意味があるのだろう。

「過去」について、老人は自分の自慢話をしたがるし、「未来」については、子供たちなどは、「将来何とかになる」とかいう作文を書かされたり、「いい大学を出て一流企業に勤めなさいね」と親から理不尽にも期待されたりするけれど、また、本人も「今いっぱい勉強すれば、将来は遊び放題で楽ができる」と誤解したりする。

でも、「現在」はおろそかにしていいのだろうか?

「過去」は「現在」が過ぎ去ったものだし、「未来」は「現在」の積み重ねだ。

朝起きて、顔を洗い、ご飯を食べる、外を見ると、すずめが鳴いている。朝日がきらきらまぶしかったり、木の葉がつやつや鮮やかに輝いていたりする。空は透明な光に満ちているのだ。

また、「あのときもっと勉強しておけばよかった」とか「あのとき違う人と結婚していれば」とか、後悔してなんになるのだろう。後悔することで「現在」を侮辱している。

そして、もっと時間がたつと、また、今やらなかったこと、選ばなかったものを後悔するのだ。「現在」を惨めな「過去」に変えることを人生にしてしまう。

私たちは過去や未来に生きているわけではなく、今、この瞬間を生きているのにね。

2009年5月31日日曜日

動物病院で知り合いの猫にあう


なんて、初めての経験だ。

2007年の夏、ちょうど梅子が衰弱し、死ぬまでの20日間、夜、通勤の帰りなど、毎日のように会った。
地下鉄の駅近くのタバコの自販機の下に寝そべっていた。

顔が、昔飼っていた紅子にそっくりなのだ。男の子だということと、
長い尻尾が奇妙な具合に曲がっていること以外は、まるで紅子だった。

行方不明になって18年、こんなところにいたのかと(そんなはずはないのだが)、
毎日ご飯を上げた。

つい先日、給食の行き道、ばったり出会い、無事を確認したばかりだが、
まさか動物病院で会うとは思いもしなかった。

飼い主の話によると、その、私がご飯を上げていた暑い夏、彼は捨てられたらしく、現在の飼い主宅の自動車の下で暮らしていたそうな。その家には目の見えない犬もいて、猫を飼うことにえらく反対したそうだが、3日間の家族会議の結果、飼い猫になったそうだ。

ラッキーボーイだ。

2009年5月17日日曜日

長屋にも季節感が…SecondLife通信

出るようになりました。一年中桜が咲いていたおめでたい場所だった長屋にも、ついに季節がやってきました。今年は桜の季節が終わると、青々とした葉桜に変身しました。

週1回、この赤いベンチに座ってデートしています。

ただし、今日はなかなかログインできず、こまりました。日本のサーバーがダウンしていたのでしょうか?

2009年5月6日水曜日

ウェディングベール


連休の初日に我が家の猫の額ほどしかない小さな庭の草取りをした。植えた覚えのない、白い小さな花をつけた植物がいた。ウェディングベールだ。

二十年以上前に住んでいた町で、後ろ足の1本ない(あるのだけれど奇形で成長せず、ちいさなまま)黒の多い白黒オス猫を飼っていたことがある。子猫のころ近くの公園に住んでいて、半年給食に通って保護して、一年ほど一緒に暮らした。

もともと外で暮らしていた猫だったので、あまり家にいず、始終外に遊びに行っていた。交通事故か何かわからないが、突然死んだ。そのとき、買ったのがウェディングベールだ。

しばらく花屋でウェディングベールを見ると悲しかった。

すると、彼は植物になって私のところに帰ってきたのだろうか。あれからあちこち引っ越したので、探し当てるのに手間取ったのかもしれない。

2009年3月22日日曜日

ダビー『シモーヌ・ヴェーユの世界』(3)

シモーヌ・ヴェーユを体系的に理解しようとしてはならない。

思想の断片がひとつひとつ、真実のかけらなのだ。それらを無用な接続詞や、文や、段落でつなぎ合わせようとすると、たちまち、硬直化してしまう。

原因があって結果があり、原因は結果を導き出すためにあり、結果は原因がなくては、意味を成さない、と考えるのは、近代的な悪しき思考だ。

サンディカリストとして出発し、敬虔なキリスト教徒として死んだ、とシモーヌ・ヴェーユを理解すれば、それは理解しやすいだろうし、その生涯の変節の原因を穿り出し、いかにもわかったような顔をしたいかもしれないが。

しかし、表面以外はいかなる変節はなかったし、何も変わってはいない。変わったのは時代だ。

2009年3月15日日曜日

ダビー『シモーヌ・ヴェーユの世界』(2)

シモーヌ・ヴェーユなんて、いまどき読む人はいないだろうなあ、と思いつつ。

20世紀の最後の十数年は、なにしろコンピューターネットワークに世界中が(多分)熱狂し、さまざまな技術が登場し、それをビジネスにして多くの会社が出没し、たちまち百万長者が増えた、という時代だったので、新しい技術(でなくてももちろんOK)でもって、ビジネスを立ち上げ、金持ちになる、すなわちみんな気づかないうちに拝金主義者になった時代だ。

「科学は今日、ある人々からは技術的処方の単なるカタログとして、他の人々からは、精神の自足的な純粋支弁の全体として見られている」(邦訳:山崎庸一郎)

すなわち、ビジネスマン対ギークか。

2009年3月8日日曜日

ダビー『シモーヌ・ヴェーユの世界』(1)

を読んでいる。ずいぶん古い本だ。フランスでは1961年、日本では(翻訳されて)1968年に出版された。
1968年といえば、翌年には東大の試験がなかった年だ。

今また読み返して、改めて、彼女が34歳と6か月という若さで亡くなったことに、驚く。と同時に、痛ましい。

短い生涯の間で普通の人間がたどり着くはるかかなたにまで(思想的に)到達した彼女は、非常にユニークだ。天才、といってすませられない人間だ。ある種の人々が飢えている真実を示してくれる。

2009年2月11日水曜日

野生の鹿、獣医さんに行く

これは、アメリカの Rossford という町にあるペット用品のチェーンストア、PetSmart で本当にあっただ。

午後1時20分ころ、PetSmart のマネージャは、後ろ足に怪我をした鹿が、ペットショップのごみ捨て用缶の間にいるのを気づいた。血に染まった雪の中にいた鹿は、飛び上がって、ビルの倉庫に続く、開いたばかりのドアめがけて走ってきた。いったん中に入ると、左後ろ足から血を垂らしながら床に横たわった、とマネージャのTrudi Urie は語った。
スタッフはすばやく行動し、店舗エリアへの入り口をふさいだ。「血まみれの鹿が抜け出して、店舗エリアに行くのだけは避けたかった」と彼女は言う。

動物を扱える警官を呼んでくるのが一番いい、と判断したが、すぐ近くにはRossford署に電話をかけられる店員が誰もいなかった。

そこで、PetSmart 内にある動物病院で働くCuesta 医師を呼んだ。Cuesta 医師は、雌鹿を調べて、足以外はいい健康状態にあるのがわかったので、倉庫で雌鹿に適切な治療を施した後、野生に戻すことができる、と、後で警官に説明した。

Cuesta 医師によると、鹿の足には二三箇所深い傷があり、骨が毛皮から見えたが、傷の原因が何かわからなかったそうだ。処置に立会った人は、傷や不慣れな環境にもかかわらず、鹿は驚くほど落ち着いていた、と語った。

クリニックの助手は鹿を押さえつけ、驚かないように頭に白いタオルを置いた。Cuesta 医師は麻酔剤を傷の上に置き、鹿の皮膚の下に電解液を与え、解ける糸で縫って傷を閉じ、痛み止めと感染を防ぐ抗生物質を与えた。

手当てが終わり、誰もいなくなると、鹿は、ドアから出て行った。しばらく Wendy’s の駐車場で立ち止まり、数秒ぶらつき、それから草原に走り去り、見えなくなったそうだ。

教えてくれたのは、長年の友人である David Fiedler 氏である。

2009年1月1日木曜日

さらば、大英帝国

というと、ちょっと大げさだが。

最近テレビで見た映画『プライドと偏見』。びっくりした。主人公のリジーがとんでもなく下品なのだ。時間に制限のある映画なので、ストーリーが多少(むちゃくちゃに)カットされているのはいいとして、全体的に情緒的で、原作の趣はほとんどない。

おきぬけの寝乱れた姿でプロポーズに来るダーシー氏を、誰が想像できるだろうか。あの時代、ありえないことだと思う。少なくともジェーン・オースティンの作品から想像できる範囲を超えている。

というわけで、この新作には大いに不満。

いつから英国民はこのように、安易に情緒的なものを好むようになったのだろうか、とつらつら考えているときに、またテレビで映画『クィーン』を見た。

ダイアナ妃事故死にまつわる大騒ぎに英国王室、エリザベス女王が苛立ちつつも譲歩を強いられる、という話で、この映画自体、英王室のプロパガンダかもしれないと思うが、それはさておき、「どうして見ず知らずの人間の死を、あんなに悲しむことができるのかしら」「ろうそくを立てにやってくるヒステリーたち」という言葉に、つい、同意してしまう。

抑制された感情、適度にひねったユーモア、という英国人の特徴が、英国人からなくなってしまったのかもしれない。それで、かれらはこぞって、過去の遺産をリメークしまくるのだ。『チャタレイ夫人』の新作の痛ましさ。

できれば、『ダロウェイ夫人』はそっとしておいてほしい。