『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。
事実から論理空間へのジャンプは、事実を対象に解体し、それを再構成するプロセスが必要だが、「事実を対象に解体する」とはどういうことだろうか。
2.01231 対象を捉えるために、たしかに私はその外的な性質を捉える必要はない。しかし、その内的な性質のすべてを捕らえなければならない。
野矢氏によれば、ここで「外的な性質」と言われたものが、普通私たちが「性質」と呼んでいるものらしい。
つまり、「赤い」トマト、「太った」ミケ、など。
一方「内的性質」とは、「それがないと対象の同一性が失われ、それゆえその性質をもっていないと想像することができない」もの、すなわち「時間的空間的位置」、なんらかの「色と形と硬さ」。
「内的性質」は「対象の論理形式」だそうだ。
そこで、
2.01231 改 対象を捉えるために、たしかに私はその性質を捉える必要はない。しかし、その対象のもつ論理形式のすべてを捕らえなければならない。
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