2009年1月1日木曜日

さらば、大英帝国

というと、ちょっと大げさだが。

最近テレビで見た映画『プライドと偏見』。びっくりした。主人公のリジーがとんでもなく下品なのだ。時間に制限のある映画なので、ストーリーが多少(むちゃくちゃに)カットされているのはいいとして、全体的に情緒的で、原作の趣はほとんどない。

おきぬけの寝乱れた姿でプロポーズに来るダーシー氏を、誰が想像できるだろうか。あの時代、ありえないことだと思う。少なくともジェーン・オースティンの作品から想像できる範囲を超えている。

というわけで、この新作には大いに不満。

いつから英国民はこのように、安易に情緒的なものを好むようになったのだろうか、とつらつら考えているときに、またテレビで映画『クィーン』を見た。

ダイアナ妃事故死にまつわる大騒ぎに英国王室、エリザベス女王が苛立ちつつも譲歩を強いられる、という話で、この映画自体、英王室のプロパガンダかもしれないと思うが、それはさておき、「どうして見ず知らずの人間の死を、あんなに悲しむことができるのかしら」「ろうそくを立てにやってくるヒステリーたち」という言葉に、つい、同意してしまう。

抑制された感情、適度にひねったユーモア、という英国人の特徴が、英国人からなくなってしまったのかもしれない。それで、かれらはこぞって、過去の遺産をリメークしまくるのだ。『チャタレイ夫人』の新作の痛ましさ。

できれば、『ダロウェイ夫人』はそっとしておいてほしい。