2009年3月22日日曜日

ダビー『シモーヌ・ヴェーユの世界』(3)

シモーヌ・ヴェーユを体系的に理解しようとしてはならない。

思想の断片がひとつひとつ、真実のかけらなのだ。それらを無用な接続詞や、文や、段落でつなぎ合わせようとすると、たちまち、硬直化してしまう。

原因があって結果があり、原因は結果を導き出すためにあり、結果は原因がなくては、意味を成さない、と考えるのは、近代的な悪しき思考だ。

サンディカリストとして出発し、敬虔なキリスト教徒として死んだ、とシモーヌ・ヴェーユを理解すれば、それは理解しやすいだろうし、その生涯の変節の原因を穿り出し、いかにもわかったような顔をしたいかもしれないが。

しかし、表面以外はいかなる変節はなかったし、何も変わってはいない。変わったのは時代だ。

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