2011年6月19日日曜日

3.11 雑感--ふるさと喪失

東北地方の太平洋岸を襲った津波と、福島第一原発の事故のあと、これで永久に日本の「ふるさと」が失われた、と思った。

「ふるさと」の歌に歌われた、志を遂げた後帰るふるさとだ。大体は、志を遂げられないし、遂げられても帰る人はごくわずかだけれど。

東北地方が自分にとってのふるさとかどうかは関係なく、ふるさととしてイメージできるのは、やはりあの地方ではないだろうか。

それが、津波と、それ以上にひどいことには、放射能で汚染されてしまった。
もはや「山は青く」なく、「水は清き」どころではない。

都市は農村からいろいろなものを奪い取って大きくなる。
農業生産物をそぐわない商品経済に組み入れて、それに見合う価値以下で買い取り、
それから、労働力を奪い取り、
結果として政治的力をも奪い取る。

さらに、危なすぎて首都の周囲には置きたくない原発も押し付ける。

農村の疲弊は、都市にいてはわからない。
時々帰ると、愕然とする。
しかし、そこにずっと住んでいる人も、どんなに変わったかはわからない。
徐々に徐々に疲弊が進むからだ。

問題は、これらが、個人の意思ではどうにもならないことだ。
巨大になりすぎた人間の組織が、まるで自動機械のように回り始めている。
誰もが自分の周りの些細な、あるいは重大な事柄に振り回され、
どうにもならない状況だ。

官僚は組織内の自分の地位と発言力を維持しつつ、責任を逃れる方法を見つけざるを得ない。
そうしなければ、自分の生活が脅かされるからだ。

企業は、もともと利益追求の組織だから、利益を上げることが優先され、倫理は、雲の上の出来事だ。

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