自伝は面白い。
もちろん、自伝でなくても第三者によって書かれた伝記も、面白い。
著名な人の伝記は、出版社が出版するので、
手に入るが、普通の人々の自伝は、自費出版であり、
親戚や親しい友人でない限り、ほぼ入手は不可能だ。
素人が書いた自伝なんか、つまらない、と昔は思っていたが、
「普通」に生きることがいかに難しいか実感する年頃になると、
自費出版も面白いと思うようになった。
まともな人生をまともな価値をもって生きた「普通」の人を知るには、
これが一番ではないだろうか。
もちろん直接話を聞くことができれば、それが一番だが、
一生分を話してもらうには、何日もかかるだろうし、
聞き漏らしたり、相手が話し忘れたりすることも出てくるだろう。
『思い出の記』は、たまたま、十何年年も前に同僚だった人の、
おばあさんの自伝だ。
その同僚は運良く編集者でもあったので、
おばあさんの伝記を、美しい一冊の本に仕上げた。
長野県の山間部の村に明治四十年に生まれたツルヨさんは、
小学校で成績が良かったにもかかわらず、
進学せずに、お百姓さんだった両親を手伝うことに何のためらいもない。
これが、田山花袋の『田舎教師』的、文学愛好者であれば、
あるいは出世至上主義者であれば、
進学できなかったことを一生悔やむか、
あるいは、無理をして進学し、その後挫折の人生を歩む、
ということになるのだろう。
しかし、普通のまともな女性はそういう風には生きない。
ころあいを見て、日赤の看護婦になろうか、あるいはそれがだめであれば、
産婆への道を進むのだ。
お見合いで結婚し、
子供を育てながら、戦後は助産婦として、七十歳意過ぎまで働くと言うのは、
これはもう、単なる「普通」では済まされない。
偉大な「普通」の人生だ。
2007年8月28日火曜日
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