ジェーン・オースティンはすごいなあ、と思う。
最初に読んだときは、文学としてはあまり奥行きがない、つまり深刻なテーマを扱っていない、と軽く考えて、ただ楽しんで読んでいた。テーマは、若い女性の結婚にまつわるいきさつだ。
でも、何回読んでもおもしろいのは、なぜだろうか。単なる家庭小説だ、と片付けられないのはなぜか。
「高慢と偏見」「エマ」「説き伏せられて」…、いずれも若い女性(説き伏せられてのアンは、オースティンの主人公にしては若くない。二十代後半だが)が、いかにして、人生の後半を幸せに生きるために、自分の納得する相手と結婚するか、に尽きる物語だが、彼女たちは一時の情熱にとらわれて馬鹿な結婚をする羽目には、絶対に陥らない。恋愛至上主義者から見ると、一見計算高い女性たちに見えたりもするのかもしれない。
また、彼女たちは、一人として、同じパターンを持たない。それぞれに独自の家庭背景を、つまり身分にまつわる種種さまざまの制約を持ち、完全に異なった輪郭を持つ。驚くべきことに、オースティンの小説では、主人公の周りにいる、脇役たちも、どれも一人として同じ人物と思われるものは、登場しない。
まったく驚くべき想像力だ。
主人公を含めた登場人物たちは、身分や地位、境遇などの外的な制約が明瞭に描かれ、また、外的な制約とほぼに、明瞭に異なった内面生活を持っている。
二十世紀の小説によくあるような、物語は異なるが、同じような境遇で、同じような内面をもった主人公と思われる人物は、いないのだ。
時代のせいだろうか。彼女の想像力の幅広さだろうか。あるいはその両方だろうか。
2008年6月7日土曜日
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