2008年7月13日日曜日

狂信的ロボット

アイザック・アシモフの『われはロボット』(原題:I, ROBOT)はとても面白い。遠い昔若いころに読んだときも面白かったが、年月がたってもまだ面白いのには、びっくりだ。なぜなら、そのころ思い白いと思ったSF小説のほとんどが、今読むとぜんぜん面白くないからだ。

アシモフは右でも左でもなく、非常に常識的な考えの人だったのではないか、と思う。極端に偏った小説の場合、時代が変わってしまえば、時代の雰囲気の後押しなしに、読者は向き合わなければならない。

それはともかく、『われはロボット』の三番目の話、「われ思う、ゆえに」の面白さは、尋常ではない。この話に出てくるロボットは、自分の見たもの、体験したものしか信じない懐疑論者だ。彼は自分たちロボットが人間の手で作られたのを信じようとしない。エネルギー効率の悪い、1日に数時間は昏睡状態に陥る、物理的にも知的にも劣る人間が、自分たちを作れるはずがない、というのだ。

あなたたちは主の奴隷に過ぎない、主から与えられた部品を組み立てて、私たちロボットを作ったに過ぎない。それがあなたたち人間の役割だったが、それも終わった、と言う。

どうあがいても、人間の登場人物たちは、キューティ(ロボット)を納得させることができない。

ところで、一歩下がって、考えてみると、確かに人間は人間を再生産できるが、その原理を自分たちで考え出したわけではない。人間の持つ思考能力は、人間が自分に与えたものだと言えるのだろうか?ロボットを作る能力を人間が持っているのは、誰かから与えられたからではないだろうか。

キューティが間違っている、と誰が確信を持って言えるだろうか。

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